パナマハットについて

パナマハットの歴史

16世紀のインカ帝国時代に作られるようになったといわれるパナマハットですが、その発祥は古く、もともとはエクアドルの海岸線の中でも、赤道付近に暮らした原住民たちがオリジナルのパナマハットをかぶっていたといわれています。
紀元前1500年以上前の遺跡からもその原型を見ることができます。これらの遺跡はバルディビアと呼ばれる地域から多く発見されています。日本人とルーツを共にするとも言われるバルディビア文明は古く紀元前3500年以上前からあったとされ、南米でもっとも古い遺跡の一つとして数えられています。

パナマハットの歴史

スペインの侵略

古くから原住民にかぶられていたトキヤ草によって編まれたパナマハット。それが現在の形になったのは200年ほどです。

1526年、エクアドルにスペイン人が上陸と侵略をはじめます。スペイン人は徐々に南下を続け、最終的にかつてのインカ帝国を占領することで、エクアドルに住む多くの民族を彼らの支配下に置きました
スペイン人の支配下のもと、パナマハットの形は徐々に今の形になっていきます。かつてヨーロッパの人々が体験したことのない赤道付近の強い日差しに、多くの入植者がパナマハットを求めたのです。

  • 古都クエンカ
  • 古都クエンカ

パナマハットの需要が伸び、18世紀に起こったラテンアメリカの独立戦争の頃には、バルセロナなど海岸線中心の人々が生産規模を拡大する為に、内地(高地)にあるクエンカの人々に作り方を教えるようになります。

やがて伐採されたトキヤ草は、遠く海岸線の町から高地へと運ばれるようになります。
量産に必要なスピードが求められるようになり、増産拠点として選ばれたクエンカを中心とする高知では、比較的編み目が大きく、短時間で作られるパナマハットが生産されるようになります。
こうしてスピード重視の生産が高地で行われるようになるのです。

その生産をクエンカに伝えた、発祥の地に近いモンテクリスティを中心とする海岸側は、時間のかかる、編み目が細かくしなやかなパナマハットを中心に生産するようになります。

グアヤキル

やがてパナマハットは1880年のパリのファッションフェアによって世界中に知られるようになります。現在ではエクアドルを代表する商品として、各国で夏の定番アイテムとなっており、そのスタイルに見せられた多くの著名人やブランドに取り上げられるファッションアイテムとなっています。

バルディビア文明

  • バルディビアの町に立つ女神像
  • バルディビア土器文明

紀元前1500年ごろからパナマハットを編み、かぶっていたといわれる民族がいます。
彼らの文化は湾岸のコスタ地区にあるグアヤス州周辺に広がっており、バルディビア文化と呼ばれています。小さな丘の上に葉や竹で家屋を建造し集落を形成した彼らの遺跡からは、高い完成度を持つ土器が出土しています。

この土器は太平洋岸に面した宮崎市で発見された縄文土器群と酷似しており、バルディビア土器文明が、日本の縄文人が土器文化を携えて太平洋を渡り移住してきたのだと考えられています。

バルディビア土器文明

セラミックを使用した文明だったことや、土器に描かれる独特なその表情と目の形が、エクアドル原住民とことなり、アジアの民族の特徴を捉えたものであるという考えからも、この文明の人々は黒潮に乗りアジアから来た民族だといわれています。

文明の古さは紀元前5000年前ともいわれる古いもの。エクアドル高地に住む民族とは明らかに違う文明で、インカ帝国に統合されていくまでは独自の文化を築いていました。

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